当 山 縁 起

 

当山は、五宝山 目見 寿 院 法律寺と申します。  

 ご詠歌  訪ぬれば 松風の音静かなり

           不動明王 おわします寺

寺伝によれば、遠く奈良朝の昔、行基菩薩諸国巡錫の砌、この近井郷中村の里に錫を留め済世利人の地として一宇の草庵を建立し、併せて陶器製法を教え地方民を修禅教化した旧跡と伝えられています。戦国の世、讃岐和田の城主大平伊賀の守国祐の兵火に罹り堂宇を焼失、付近の寺院も皆その厄に遭いましたが、その余燼を集めて再興。下って天正年間、長曽我部元親の四国征伐の折その威に随い讃岐萩原寺の末寺となりますが享和の年 良雅僧正が当山に晋山するを機に、檀徒と謀り萩原寺を離れ京都嵯峨御所大覚寺の直末となり天保十二年 [ 大覺寺塔頭常住金剛院室永兼帯 目見 寿 院 ] (執達文参照) と公認され『 院家 』の公称を許されたのです。その後嚇々たる威望を以て一世を風靡したといわれています。尚、大戦後の宗教規則の変更と倶に、昭和二十二年 御室( 京都仁和寺 )末寺になりました。

 

主な年中行事

四国三十六不動霊場 第二十五番札所として『お不動さま』を信仰される方が
日々訪れます。境内には水掛不動様や子育て地蔵様。堂内には西国観音霊場
三十三体の観音像等が祀られています。毎年の初不動会、毎月の護摩祈祷など
沢山の参拝者でにぎわっています。
一月一日 修 正 会 四月八日(旧) 花まつり
一月二十八日 初 不 動 八月十五日  お 盆
二月十四・十五日(旧) 常 楽 会 十二月三十一日 除夜の鐘
三月二十一日(旧) 正御影供 毎月二十八日 護摩祈祷