毎月門前の掲示板に貼りだした内容が中心です。

 

今月の話1 無財の七施 今月の話2 涅 槃
今月の話3 彼岸について 今月の話4 花まつり
今月の話5 端午の節句 今月の話6 誕 生 会
今月の話7 お盆について 今月の話8 御 宝 号
今月の話9 人生の節目のお祝い 今月の話10 新しい年に向かって
今月の話11 正月を迎えて 今月の話12 お不動様の年
今月の話13 お観音さん 今月の話14 子供の冬休み 
   
   
   

 

 

 


 

今月の話 1

無財の七施

 
仏教が説くものの中に、『 布施 』というものがあります。
布施というのは、物と心の分かち合いと言うことで、決して上の者から
下の者へ何かをしてやるのではありません。
また布施なくしてこの世の中は、平和で幸せな世界とはいきません。
布施と言う言葉は、サンスクリット語で「 ダーナ 」と言いますが
漢字に当てはめれば、『旦那』になります。
一家の主を旦那さんとも言いますが、心を込めて家族に対して
何かをしてあげる、正にその意味なのです。
檀那寺と檀家という言い方もここからきています。
寺にたいしてできる範囲で何かを(布施)するので、
寺はその人たちを檀家と言い、寺からは読経など(法施)の行を
するので檀家から寺のことを檀那寺といいます。
寺にたいして檀家、檀家にたいして檀那寺、この相互関係なのです。
またこの布施には、三施と七施があります。三施とは
   @ 飯食施(おんじきせ)  食物の分かち合い。
   A 珍宝施(ちんほうせ)  貴重な物、資源を独占しないこと。
   B 身命施(しんみょうせ) 身体と能力で奉仕の行をする。
以上が三施です。また、たとえ物に恵まれていなくても出来るのが、
以下の七施(無財の七施)と言われています。
   @ 眼施(がんせ) 人に好かれる優しい眼差し。
   A 和顔悦色施(わがんえっしきせ)和やかな顔と微笑みの施し
   B 言辞施(ごんじせ) 心の籠もった優しい言葉。
   C 身施(しんせ) 力施とも言い自分の力を他人に貸す。
   D 心施(しんせ) 真心の施しによって、他人に喜びを与える。
   E 床坐施(しょうざせ) 自分の座席を他人に譲ること。
   F 房舎施(ぼうしゃせ) 自分の住居をいつも整理整頓し、
                いつ誰が現れても気持ちよく開放する。
布施について簡単にお話ししましたが、
見返りを期待せず自分が出来ること、出来る範囲で心を込めて
何かをする、手をさしのべる。これが本当の意味での
『布施』なのです。この布施の心をもっていれば
本当の幸せが来るのではないでしょうか。

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今月の話 2

涅 槃

 
2月14・15日は涅槃会です。今月は涅槃について少しお話ししましう。
お釈迦様の入滅の日を涅槃(ニルバーナという梵語の音訳)といいます。
意味は、滅とか言うふうに訳されています。簡単に言うと「なくなる」と言う
意味です。何がなくなるかと申しますと、一切の煩悩がなくなると言うこす。
涅槃とは貪欲(むさぼり)永く尽き、瞋(いかり)永く尽き愚痴永く尽き、
一切の煩悩永く尽く、これを涅槃と名づくと(雑阿含経)に説いてあります。
迷いの世界にあるものは、いつも貪りの心が強いから苦労ばかりします。
つまらぬことにでも腹を立て、物の道理が分からないから毎日愚痴を
こぼしながら暮らしています。正しい教えを信じてこのような間違った状態
から逃れ一切煩悩がなくなったら、本当に楽しい境地に入ることが出来ます。
それで涅槃には、常、楽、我、浄、の四つの徳が具わると教えています。
1.常とは、常住ということで、いつまでも変わることなく、
  生まれたり死んだりしないことです。
2.楽とは、安楽という意味で生滅変化のない世界には
  生き死にの苦しみがない。
3.我とは、迷っている誤った我というものがなくなり
  悟りを得た本当の我が自由に生きて行くことです。
4.浄とは、清浄ということで心にけがれがなくなり、行いに不正がなくなり
  どこまでも清浄な生活をすることです。
涅槃にはこの四つの徳がありますので、常楽我浄の上の二文字を取って
涅槃法会を常楽会というのです。
お 釈 迦 様 の 御 入滅
お釈迦様は、鹿野苑で初めてお説法なされてから、45年の間
衆生救済のため東奔西走され、仏陀としての御生涯を全うされました。
御年80才にして、クシナーラの城外、沙羅双樹の園において
御入滅になりました。御入滅の時集まって来た弟子達
『悲しんではいけない、私の肉体は滅んでも自分の説いた心理の教は
永久に残るのです。心理は私の肉体以上に尊く、常に心理を見るもは
仏陀と共にあるのです。お前達は清浄な生活をして、我がままや
贅沢をしないようみんな仲良く尊敬しあい、喧嘩をしないよう謙虚な心で
人に接するならば心安らかな喜びが得られます。』と仰せになりました。
そして最後に『弟子達よ、つとめ、はげめ、怠けるな。』と、戒められまた。

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今月の話 3

彼岸について

 
仏教では、生死に苦しみ、迷いやなやみの多い心の状態を
此岸(こちらの岸)、迷いや苦しみをのりこえた理想の世界を
向こう側の岸に見たてて彼岸、もしくは到彼岸といいます。
此岸から彼岸に渡る渡し船の役目をするのが
次の六つの修養方法で、その彼岸に渡るべく努力する週間を
親しみをこめて、「お彼岸」とよんでいます。
(1)布施(ほどこしをする)
上から下へ何かを与えるのではなく、人間は誰でも何かの特徴を持ち
どれほどかの力を持っています。学者は学問の力を、労働者は体力を
財のある人は財を、技術者は自分の持てる技術を世のため、
人のために提供する。何もなくてもやさしい言葉、
にこやかなほほえみだけでも人の心を救うことが出来るのです。
(2)持戒(規則を守る)
我がまま、気まま、身勝手、ふしだらを平気でやっていたら
不幸を招くだけ。人間は、人間の道を守らなければ
自由には生きられません。法を守り、社会人として秩序を維持し
人の道を守ることが、彼岸に渡る第二の船となります。
(3)忍辱(がまんする)
堪え忍ぶということは、弱者の道徳と思うのは間違いです。
不利益な立場に置かれたとき、よくそれに堪えて、静かにものごとの
理非を判断し、広い目でまわりを観察するだけの心のゆとりを持って
何ごとにも堪えしのんで行くことが第三の船となります。
(4)精進(はげむ)
いつの時代でも怠け者が成功したためしはありません。
人間はその時代に応じて、環境にふさわしい
勉強をしなければいけません。精進努力が成功の絶対条件であり
これが不満足な此岸から、満足な彼岸に達する第四の船です。
(5)禅定(心を落ちつける)
世の中が騒がしくなり、仕事が忙しくなればなるほど
落ちつきが必要になります。安定した心から正しい判断が生まれます。
心の落ちつきを保っていくと、それが健康の増進に役立ち
生活力の源になります。平和の彼岸に到る第五の船となります。
(6)智慧(ちえをみがく)
科学はすばらしい進歩を遂げています。
科学知識を尊重しなければなりませんが、忘れていけないのは
科学は人間の幸福のためにあるのだということです。
もの知りのちえではなく、人生を正しく見極めていく智慧の眼を
明らかにしていくことが、彼岸に渡る第六の船となります。
春分、秋分の日は太陽が真東から出て真西に入る。昼夜等しく
そこで仏教の根本精神の一つである中道(かたよらぬ心)の象徴として
お彼岸の中におかれお中日とし、前後に三日ずつ配して
修養の方法を実践する日としています。
又、秋分の日は、法律でも「先祖を敬い亡くなった人を偲ぶ日」
と定められており、昔から先祖供養の季節として親しまれています。
自分の家のお墓だけでなく、日頃ご無沙汰している
親戚等のお墓もお参りし、お墓参りをきっかけとして
我が家の歴史を子供たちに伝えたり、人生について語り合うのも
意義深いお彼岸の過ごし方といえましょう。

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今月の話 4

花まつり

 
四月八日は、お釈迦様がお生まれになった日で、「灌仏会 」
あるいは「花まつり」と言い、全国の仏教寺院や幼稚園・保育園では、
いろいろな行事が行われています。
花まつりは、誕生仏を花御堂に安置して甘茶をそそぎ
また美しいお花をささげて、み仏をたたえる行事であります。
お釈迦様は、インドのルンビニーの花園でお生まれになり
その誕生を祝って空から竜王が甘露の雨を降らせたと言われています。
その甘露の雨が甘茶の由来であり、ルンビニーの花園を型どったのが
花御堂であります。日本でこのおまつりが行われたのは
推古天皇即位十四年(606)奈良の元興寺の金堂で行ったのが
最初である、と言われています。
寺院により新暦で行うところ、旧暦で行うところ、と様々ですが
当院では旧暦で行っています。甘茶のお接待がありますので
是非お参りください。詳しくは、電話かメールでお問い合わせ下さい。

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今月の話 5

端午の節句

 
五月五日は子供の日で端午の節句とも言い、法律でも
「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、
母に感謝する日」と定められています。
端午の「端」は、はじめの意で、月のはじめの午の日と言うことです。
では、端午の日がなぜ五月五日になったかと言いますと
中国では夏正 
(正月を寅月とし、十二支の順に月名をつける方法で、日本に輸入されている)
に由るところの五月は午月であるから、それと
漢代以後、重日思想の影響で「午」は五に通じるため数字を重ねたなど
元々中国では、五月は悪月とされ、午の日に災いから免れ
不浄を除くための祓えを行っていたようですし
思想により数字を重ねて祓えの意義を強調したようです。
日本では、五月は皐月、早苗月であり若苗を植える月として
田植えに先立って、田の神を迎えて豊穣を祈る
元々は神を迎える祓えの日だったのです。
しかし、菖蒲を屋根にかけ、粽を食べる中国伝来のしきたりの中の
「菖蒲」が尚武に通じると言うことから
武士の間でも流鏑馬などが行われるなど、男子中心の行事に
代わっていったのです。その後兜飾りができ、男子の健康と
出世を祈って鯉のぼりを立てるようになり
また江戸時代には五節句の一つとして五月五日は男の子の
祝いの日と定められるなど、五月五日端午の節句は、
男の子の祝いの日に変わったようです。
明治時代に五節句は廃止されましたが、端午の節句を祝う
行事は風習の一つとして、今も全国各地で行われています。

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今月の話 6

誕 生 会

 
毎年6月15日は、お大師さま(弘法大師)の誕生会の日です。
お大師さまは、宝亀5年(774)6月15日讃岐の国、佐伯善通卿と
玉依御前との間にお生まれになり、幼少名を真魚と言いました。
21歳の時、空海と改名して後唐に渡り
恵果和尚より真言密教と遍照金剛の称号を授かり
大同元年(806)33歳の時日本に帰ってまいりました。
その後、高野山にご入定されるまでの間、真言密教を広めるため
各地を訪れたのです。
尚、弘法大師と言う名は、お大師さまがご入定されて後
延喜21年醍醐天皇より賜ったおくり名です。
私たちは、親しみをこめて『お大師さま』と呼んでいますが
このお大師さまのお誕生を祝って行われるのが、誕生会です。
殊に高野山に於いては、青葉祭という盛大なお祭りが行われます。
当地においても行っていますが、近くの西福寺と言うお寺に
私ども結集寺院出仕の下盛大な法要が行われますので
是非お参り下さいませ。

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今月の話 7

お盆について

 
今月はお盆について少しお話ししましょう。
『 仏説盂蘭盆経 』という経典に、次のように説かれています。
それに依りますと、お釈迦様の十大弟子の一人目の目連尊者が
神通力によって、亡き母の世界を見たところ
餓鬼道に落ちて苦しんでいるのが見えました。
そこでお釈迦様にどのようにすれば母親を助けられるのか
お尋ねしたところ、お釈迦様は
七月十五日の夏安居( げあんご )※終わる日に
たくさんの僧侶を供養するようにといわれ
その通りにすると、目連尊者の母親は餓鬼道から救われたと
説かれています。そこで先祖の供養のために
中国では、梁の武帝が盂蘭盆会を催したと伝えられ
日本でも宮中で推古天皇が六百六年に行ったとされています。
日本においては古来より、死者から離れたタマ(魂)が
やがて祖霊、つまりカミ(先祖神)と一つになるという
独特の死生観があったようですが、この先祖神は普段
人里離れたところに住み子孫を見守っているのですが
時々人里に下りてきて子孫の家を訪れるといわれています。
この時期が、農耕生活と関連していて農耕にかかる前の時期
つまり一月と、稲刈りを前にした七月なのです。
ともに豊作を祈る行事が行われる時期であり
先祖神も、この時期に下りてくると考えられてきました。
六月三十日の輪越し、十二月の大晦日というように一年はしばしば
二分して考えられていたので、一月と七月は同じ位置にあることから
盆と正月が一緒に考えられるようになったと言われています。
また、盆と正月の十六日を「 やぶいり 」といい
昔は他家に奉公に出ていた者が、両親のいる里に帰る日をいい
これも家の行事に参加するために帰るのであり、先祖神と
関連があると考えられています。
お盆になると、迎え火を焚いてご先祖様をお迎えしたり
送り火を焚いたり灯籠流しをしてご先祖様をお送りしたり
ところにより様々な行事がありますが
これらは日本独特の死生観と、七月(旧 八月)に供養をする
という渡来仏教が伝えた盂蘭盆が融合され、また異なった文化や
習俗が融合し「 お盆にはご先祖様をお迎えして供養する 」
というかたちが確立されていったようです。
※ 夏安居(げあんご)とは、インドでは旧暦の五月から七月にかけて
雨期となり、その間道路も寸断され僧侶は托鉢にも行けません。
そこで雨期の間は僧院や林の庵の中で僅かな食事で
ずっとこもりっきりの修行をします。それを夏安居といいます。

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今月の話 8

御 宝 号

 
私たち真言宗僧侶や檀信徒の方々が法要の席や
霊場巡拝などで必ずお唱えするのが、お大師さまのご宝号
「 南無大師遍照金剛 」です。
ご宝号とは、御名をお唱えすることです。
このご宝号を漢字で覚えたより、先ず耳で覚えたという人が
多いと思いますが、皆さんはどの様にお唱えしていますか。
巡拝などで私がよく聞くのは、「ナムダイ、シヘンジョウコンゴウ」ですが
これはちょっと違います。何故かというと最初の「南無」は
帰依する、簡単に言えば 「おすがりする」という意味。
次の「大師」は、弘法大師の大師( 弘法大師という名は延喜 21年
醍醐天皇より賜った空海へのおくり名)
最後の「遍照金剛」はお大師さまが恵果和尚より伝法灌頂
(正統密教の最高の法を伝える儀式)の折り授かった称号。
お大師さまの名は「 遍照金剛(ヘンジョウコンゴウ)」
「 南無大師遍照金剛 」というのは、お大師さまにおすがりしますと
御名をお唱えしているのですから
「シヘンジョウコンゴウ」ではなく「ヘンジョウコンゴウ」随って
「ナムダイ、シヘンジョウコンゴウ」ではなく
「ナムダイシ、ヘンジョウコンゴウ」なのです。
普段、耳から入ったのを感覚だけでやっているとこうなりやすいのですが
一度お大師さまの御名を考えながら必ず経本を見てお唱えしてみて下さい。
いつもと違った御利益を頂くかもしれません。
  南無大師遍照金剛

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今月の話 9
人生の節目のお祝い
  
毎年11月15日は、全国各地で七五三のお祝いが行われていますが、
今回はそれに因んで、人生の節目、「 冠婚葬祭 」の冠について
少しお話ししましょう。
(1)帯祝い(着帯の儀)
新しい命の誕生は、親にとっても家族にとっても、この上ない喜びです。
胎児を保護し、健やかな子供が生まれるようにと、妊婦のおなかに
白い帯を結ぶ習慣は古くからありましたが、お産の軽い犬にあやかって
妊娠五ヶ月目の戌の日に着けられるようになったのは江戸時代に
入ってからのようです。妻の実家から、昔は白木綿に紅白の絹地を添えて
贈られたりしましたが、現代は使いやすいタイプの製品も登場し
本人の好みや生活にあった便利なものが選ばれています。
(2)お七夜(命名式)
出生から数えて七日目の「お七夜」には、命名書を飾って前途を祝います。
命名書の形式は二通りあります。
 ・正式な命名書は神棚か仏壇、または床の間に置きます。
 ・略式( 半紙 )の場合は赤ちゃんの頭上( 鴨居など )に貼ります。
出生届が終わるとへその緒と一緒に大切にしまっておきます。
(3)お宮参り
お宮参りの日は地方によって多少違いますが、
生後1ヶ月を基準にして行われているようです。赤ちゃんとお母さんの
健康を第一に考えて、都合のいい日時を選びます。お父さんの休日に
というケースも。行事の意味は、その神社の氏子の仲間入りをさせて
いただき、無病息災を祈願するものです。参拝の時、夫側の祖母が抱いて
付き添うのがしきたりでした。これは、産後日が浅い母親の健康を
気遣ってのことと「○○家の子供」という意味が込められています。
最近は家族揃ってお参りをし、記念写真を撮って身内や親しい人に贈って
ともに祝ってもらっているようです。
(4)お食い初め
お食い初めは「お箸初め」「箸揃え」とも言い
一生食べ物に困らないように、との願いを込めたお祝いです。
「歯がため」と言って歯の丈夫な子にと、石を置くこともあります。
ふつうは生後百日目に行います。
(5)初節句と初誕生
男なら5月5日の端午の節句に具足飾りを女の子なら3月3日の
桃の節句に雛人形を母方の実家から贈られるならわしは、現在でも
かなり行われています。生まれて2ヶ月前後の初節句なら翌年にと
考えてもよいでしょう。端午の具足飾りは、「7才の立ち上がり」と言って
7才を過ぎると行われなくなります。初節句や初誕生の祝い善には、
父方、母方の祖父母等を招き、家族と共に心づくしのお祝いをいますが
出席できない祖父母等には、内祝いに添えて子供の写真をお送りすれば
喜ばれるでしょう。
(6)七・五・三
都市部を中心に盛んなこのお祝いは
7才女児の「紐解きの儀」・・・ つけ紐をとって帯を締める。
5才男児の「着袴の儀」 ・・・ 羽織袴を着ける。
3才女児の「髪置きの儀」等、武家のしきたりが民間に入ったものです。
本来は数え年で行いますが、今は満年齢で行う家もあります。
11月15日にこだわらず、その前後にお参りする姿も見られます。
古くは育ちにくかった子供が、やっと3才になりました、5才になりました
7才になりました、とそのお礼と、これからも成長して行く課程で、社会の
一員として共同体に立派に参加できるように、と願って神社に詣でます。
子供には「祝ってもらっている」という自覚を持たせ
お祝いを頂いたら本人にもお礼を言わせましょう。
(7)十三参り
古くから行われている十三参りは、精神的にも肉体的にも
大人に移行する大切な節目として、京都では今も盛大に
行われています。和服なら女の子は、はじめて本裁ちの着物を
着せてもらって、神社や寺院にお参りをします。現代は、これにかわって
15才の男女は各地で行われる少年式で祝福されます。
(8)成人式
古いしきたりの中での「加冠の儀」は、現在の成人式に当たります。
満20才になると、選挙権や結婚の自由など独立した社会人として
認められますが、法的な義務を持ち、責任を背負った
社会の一員となるわけです。
(9)厄年
男子は数え年で42才、女子は33才が大厄と言われます。
科学の発達した今もなお、根強く受け継がれているこの風習は、
中国古代の陰陽道からきたものですが、身体的にも節目を迎える
大切なときです。この前後は特に身を慎むのがよいとされています。
(10)賀寿の祝い
還暦・・・数え年61才。還暦は、生まれ年の干支に還るため
          赤ちゃんに戻るという意味から、赤いちゃんちゃんこを
          着せてお祝いをする習慣があります。 しかし現代は、
          61才は現役の方が多く長寿というのは
           早過ぎるようです。
古希・・・70才。唐の詩人、杜甫の詩の一節「人生七十古来希也」に
          由来しています。
喜寿・・・77才。喜の字を草書体にしたら七十七に読めるところから。
傘寿・・・80才。傘の字の、八と十からきたものです。
米寿・・・88才。米の字から。末広がりの字が二つ重なり
          とてもめでたいお祝いと言われます。
卒寿・・・卆で90と読めるところから。
白寿・・・百から一をとって白となるところからこう呼ばれます。
茶寿・・・108才。茶の字を分解すると百八になるところから。
一本の竹には、それを支えるための幾つもの節があるように、
長い人生においても、先人達が培ってきたその時々の節目があります。
それが、「冠婚葬祭」の「冠」の行事なのです。
これら節目の一つ一つを大切にまた、乗り越えていってこそ
楽しく、そして明るい人生になるのではないでしょうか。

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今月の話 10
新しい年に向かって
 
今年もはや12月、一年を締めくくる時がやって参りました。
忙しく一年を過ごした人、目標を持って過ごした人
色々な一年があったと思いますが、皆さんは如何でしたか?
今年あったことを思い出しながら「来年こそは」と考える人もいるでしょう。
『一年の計は元旦にあり』と言います。正月がその年の始まりなら
今年あったことの反省もしながら、新しい年に向かっての下準備をするのが
12月の行事の一つではないでしょうか。
年末になると「家の掃除は」とか「正月の注連縄と餅は」とか
色々と忙しくなってきます。「正月の初詣はどこへ」等、計画もあるでしょうが
一つ大事なことを忘れないで頂きたいのです。
それは「来年、年忌を迎えるご先祖様は居ないか」と言うことです。
正月といえば、時間とお金をかけてわざわざ遠いところへ御利益を頂く為
初詣に行く人がいる位ですから、せめて年一回
ご先祖様の位牌に書いてある没年月日を見てもらいたいのです。
年末が忙しいのなら、初詣を済ませてからでも結構です。
位牌の裏に書いてある没年月日を見て、ご先祖様の年忌の心配をしても
バチは当たらないと思います。没年を見ても年忌の繰り方が解らない人は
「○年○月○日に亡くなっているが、年忌法要は何時すればいいのか」と
檀那寺さんへお尋ねすれば良いと思います。最近は時間に追われ
一家団らんや自分の時間がとれない人が多くなりましたが
助け合える一族が居る、家族や今の自分が居ると言うことは
代々のご先祖様があってこそなのですから、人任せではなく
先は自分で確かめてみては如何でしょうか。
今までとは違った新たな気持ちで新年を迎えられる筈です。
参考の為、来年の年忌表を載せておきますので
早速調べてみて下さい。では皆さま、良いお年を。

平成22年度年忌表

 1周忌

平成21年

 3回忌 平成20年
 7回忌 平成16年
13回忌 平成10年
17回忌 平成6年
23回忌 昭和63年
25回忌 昭和61年
27回忌 昭和59年
33回忌 昭和53年
37回忌 昭和49年
50回忌 昭和36年

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今月の話 11
正月を迎えて
 
皆さま明けましておめでとうございます。
現在では自分の年を数える場合、誕生日を迎えると一歳年をとる満年齢が使われますが
昔ながらの数え年を使えば正月を迎えるたびに一歳年をとるわけです。
一休禅師が歌われたように、『冥土の旅の一里塚』をまた一つ越えるわけです。
若い者であればともかく、ある程度の年齢を越えるとそれ以上は年をとるたびに
「あぁあそこが痛い、ここが痛い」と否が応でもなって参ります。
今までは出来たのに、何かが違う何かおかしい・・・・・・。
何かおかしいのは我々だけではありません。
最近、テロ・戦争など暗いことばかりです。また昨年などは天候不順の日が多く
秋が無く夏からいきなり冬になったと感じられる程でした。
後半は雨が多く作物にも影響があったようです。
これらも人間のエゴや自然破壊を行ってきた結果が示されているのでしょう。
物事が我々の思い通にならない。そのことを『一切皆苦』といいます。
思い通にならないのは当たり前。生きているのは人間だけではなく動物・植物等々
この広い大宇宙(大日如来)の中で生かされているのですから。
それに比べて自然は素晴らしいですね。身勝手な人間を生かしてくれるのですから。
例えば、雨が降れば「あぁまた雨か」文句を言いながら傘をさしますが
その雨も、大地にしみこみ作物の発育に欠かせないものとなり
また我々が生きていく上で大切な飲み水にもなるのです。
こういった見えない有りがたい力を『お陰様』といいます。
あれがしたい、こうなりたい。色々欲があるのが人間ですが
ほんの少し、こういった見えない『お陰様』に感謝してみませんか
育ててくれた親に感謝するように、自然にも心からの感謝をして下さい。
心からの感謝が有れば、自然と周りに対する思いやりの心が出てきます。
自然に感謝・人に感謝・物に感謝し、周りを思いやることの出来る
そんな素晴らしい一年にして頂ければ幸いです。
感謝感謝

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今月の話 12

お不動様の年

 
皆様、新年明けましておめでとうございます。
昨年は近年に無い災害の年でした。水害・度重なる台風・地震等
テレビのニュースを見ても毎日信じがたい光景が目に飛び込んできました。
自然は文句の一つも言わず動植物等、特に自分勝手な人間まで分け隔て無く養ってくれます。
しかし一度牙をむくと、誰も手を付けられないほどの猛威をふるいます。
正に”災”の一年でした。自分勝手な人間にボチボチと天罰を下しているようにも思われます。
近年、省エネ・エコロジー等と言っていますがそろそろ本腰を入れてやらねば
少々手遅れのような気もしないではないですね。
この様なときに酉年を迎えるのも、佛様のお導きのような気がします。
酉年の守本尊はお不動様(不動明王)です。何故お不動様が酉年の守本尊かと申しますと
お不動様の背中でメラメラと燃え上がる炎(光背)、これを迦楼羅炎(カルラエン)と申します。
佛教の想像上の鳥、金翅鳥(キンシチョウ)をカルラといいますが
そのカルラが翼を広げた形が、にわとりに似ているところから俗にそう言われているようです。
世の中全体・自然が正しい方向に向くには、我々1人1人が今まで養ってくれた自然界の
見えない『お陰様』に感謝をし周りをよく見渡して、今何をすべきか、考えねばなりませんね。
金翅鳥という鳥は毒をもった竜を食べると言われています。
一心にお不動様を念じて、お不動様のカルラであらゆる煩悩を食べて頂き
お不動様の剣と索で煩悩を断ち切り、また悪い心や迷いの心を縛り上げ
良心を起こし、正しい行いが出来る智恵(覚り)に目覚めるよう、努力してみては如何ですか。
この大宇宙(大日如来)のお使い(教令輪身)のお不動様は頭に蓮台(ウテナ)を頂いています。
これは『私は良いから先貴方から・・・』と自分の身を呈して私たちを救って下さる佛様です。
皆様方も、普段より少し多めの感謝の心と少し多めの思いやりをもって周りと接してみて下さい。
きっとお不動様のように正しい行いが出来る、正に”不動心”の持ち主になることでしょう。
それでは、今年一年よろしくお願い致します。
合 掌

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今月の話 13

お観音さん

 
多くの人が手を合わす佛様の中に『お観音さん』と親しまれている佛様が居ます。
ご存じの通り、観世音菩薩ですが、『般若心経』の最初に書かれている観自在菩薩
( 観自在・梵語でアヴァローキテーシュヴァラ )は観音様のことです。
この観音様は、苦しい時や救いを求めて一心に拝む心の声(音)を観るが如く
我々を救って下さるところから、こう呼ばれています。
観音様のお住まいは補陀落山( 梵語でポータラカ )で、チベットのダライ・ラマが居る
ポタラ宮の”ポタラ”とは補陀落山を意味します。
また観音様は我々衆生が救いを求めて一心に念ずれば、その状況に応じた姿に形を変え
救って下さると『妙法蓮華経』の『普門品(ふもんぼん)』の中に説かれています。
西国三十三観音霊場の本尊様などは”状況に応じて形を変えた”お姿なのです。
千手観音・十一面観音・馬頭観音・等々、色々と形を変えますが( 変化 へんげ )
言わば、あの手この手で我々を救って下さるということです。
我々の生活で例えるならば、子供を見守る母親と言ったところでしょうか。
今現在、便利さや機能性ばかり追い求めすぎて”心”を忘れがちですが
どの様にすればお互い助け合う事が出来るのか、また信じ合うことが出来るのかを
一人一人が考えて実行していけば、すばらしい世界になっていくと思っています。  合 掌

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今月の話 14

子供の冬休み

 
先日、高野山大学に通っている長男が冬休みのため家に帰ってきました。
久しぶりに会う長男は、少々頼もしくなったように見えなくもないし・・・。
でも、顔つきを見ればヤッパリ心配する方が多そうです。
私もそうでしたから、子供の表情を見れば大体察しはつきます。
親元を離れて下宿生活ですから、ガミガミ言う親はいないし、黙っていても
毎月の仕送りは届くし、奨学金は通帳に入るし、寺でお膳運びの手伝いをしているので
アルバイト料は入るし、それはもう、パラダイスの極みです、きっと。
以前、親戚が高野山詣りの折、「大学生活は楽しいか?」と聞いたら
「うん、楽しくて楽しくて仕方ない。これで授業がなかったら、もっと楽しいのに」ですって!
そんな長男も、お寺の手伝いで沢山の人に接する機会が多いためか
以前よりは少々、挨拶や人との話が出来るようになったみたいです。
高野山で多くの方々にお世話になって、育てて頂いて、本当に有り難いことです。
年末になり色々と忙しいので、大晦日の準備を手伝わしています。大助かりです。
今日は半日、末っ子の面倒も見ていたようでこの時期長男の存在も捨てがたいです。
明日は納不動ですから、お参りの方の相手でもさせてみようと思っています。
高校時代はあまり感じませんでしたが、大学生の長男を少々あてにしているのかな?
こんなことを言ってると、「もう隠居の準備?」と時々言われますが、まだまだ!
長男は来春から修行に入る予定ですし、大学生活もやっと半分終わりました。
親として、師匠として、これからが本番です。
しかしながら、沢山のお陰様で長男もここまで大きくなりました。すべてに感謝です。

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