*当山縁起*
寺伝によれば、遠く奈良朝の昔、行基菩薩諸国巡錫の砌、この近井郷中村の里に錫を留め済世利人の地として一宇の草庵を建立し、併せて陶器製法を教え地方民を修禅教化した旧跡と伝えられています。戦国の世、讃岐和田の城主大平伊賀の守国祐の兵火に罹り堂宇を焼失、付近の寺院も皆その厄に遭いましたが、その余燼を集めて再興。下って天正年間、長曽我部元親の四国征伐の折その威に随い讃岐萩原寺の末寺となりますが享和の年 良雅僧正が当山に晋山するを機に、檀徒と謀り萩原寺を離れ京都嵯峨御所大覚寺の直末となり天保十二年 [ 大覺寺塔頭常住金剛院室永兼帯 目見 寿 院 ]と公認され『 院家 』の公称を許されたのです。その後嚇々たる威望を以て一世を風靡したといわれています。尚、大戦後の宗教規則の変更と倶に、昭和二十二年 御室( 京都仁和寺 )末寺になりました。